interview ザ・プリンス 箱根芦ノ湖
SWAN CHAIR 写真・語り 工藤桃子
文 山田泰巨

「高校生のころは物理学者になりたかったんです」と、建築家の工藤桃子さんは言います。
「ただ物理学は実証を重ねて結果を得る学問で、高校生の私はその長い時間にもどかしさを感じてしまった。理数系が強かったので、(建築という結果が見える)建築家を目指すことにしました。理数が強いといいながら進学したのは、美大の空間コース。美術館や舞台演出に興味があっての選択でした」と振り返ります。

大学を卒業したのち、工藤さんは建築設計事務所に進みます。けれど仕事で建築に向き合うなか、建築の面白さをもう一度探りたいと大学院への進学を選びました。進学先は、東京大学を定年退職して工学院大学で新たに教授に就任したばかりの藤森照信さんの研究室。建築史家として優れた考察を数多く残す研究者である藤森さんは、日本の建築家を「赤派白派」で分類しています。身体性から生まれる、物の存在感を重視する流れは血の色から「赤派」、存在感よりも数学的抽象性を重視する流れは検証を行う脳の色から「白派」と分類されています。

「藤森先生は村野藤吾を、赤派を代表する建築家として位置付けています。もともと藤森先生に学ぶ以前から村野藤吾には強い関心がありました。無意識の心地よさとはなにか、それを学ぶために村野建築を研究していたんです。国内に残る村野建築はほぼ見て回りました」

工藤さんが両派どちらに属するとは言えませんが、彼女の手がけた空間をみると物=素材に強い関心があることが見えてきます。今回はそんな工藤さんとともに、村野藤吾が手がけた「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖(旧箱根プリンスホテル)」を見て回ることにしました。工藤さんは、村野建築のどこに魅力を見出すのでしょうか。

「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖(旧箱根プリンスホテル)」は1978年に竣工した、80代を迎えた村野の晩年作のひとつ。大地にただ立つのではなく、溶け込ませたいという村野の信念が見える建築です。

「村野さんは周辺の環境を強く意識される建築家ですが、ここは特に自然と一体化した作品。村野さんは歳を重ねるごとにプランが立体的になっていきますが、花びらのような細部をもった宿泊棟はとても晩年の村野さんらしい立体的な建築ですね」

館内を見て回った工藤さんはあらためて、エントランスからロビーへ移動する体験の建築的なダイナミズムに心奪われたと言います。天井を抑えた横長の空間からロビーに足を踏み入れると、一転して天井の高い縦長の空間が広がります。このロビーに置かれる椅子は、村野自らがデザインしたスワンチェア。座面が低く、背もたれが白鳥の長い首を思わせます。

「空間のもつ縦のラインとスワンチェアのすっと伸びるイメージが重なって美しいですね。外の樹木もまっすぐに伸びて、内外が垂直のイメージで繋がります」

工藤さんは、ホテルに置かれるスワンチェアは単体で見るのと趣が異なると言います。

「この空間では個性的な椅子がすっと風景に馴染みますね。スワンチェアは天井の高い空間を意識させたかったのでしょう。低い位置に座るとロビーのダイナミックな空間をしっかり眺めることができます。装飾的な空間もいいですが、シンプルでモダンな空間にも似合いそうですね」

このモニュメンタルな椅子は、どこかチャールズ・レニー・マッキントッシュの椅子のようだと工藤さんは続けます。

「一方、宿泊棟のヒューマンスケールな魅力も見逃せません。装飾的な空間と竹が立ち上がるシンプルな庭。庭の余白は和を思わせますが、空間の造作は西洋的な部分も多く見られます」

竹の葉ずれの音が聞こえてきそうな中庭と造形的な建築。和洋折衷というにはあまりに独自の趣をもつ空間に、工藤さんは「村野さんは影響元がわからない人物」と言います。村野と同時期に活躍した建築家の多くはヨーロッパに学んでいますが、村野は海外を旅しているものの留学はしていません。この時代には珍しい、系譜のない独自の存在と工藤さんは言います。感覚的に養った心地よさへの追求で、生涯、自作を様式化せずにいられたのではないかと続けます。

「建築の哲学者といえばいいでしょうか。反骨精神ではなく、自分のペースで建築に取り組んでいます。自身の感覚で取り込んだものを表現する村野さんの建築は、人間的であることを最重視します。最後の作品である谷村美術館が傑作となったのも、こうした出自によるものなのかもしれません。インテリアが建築と分離していった日本で、建築、インテリアともに細部まで目が届き、外も中も抜かりない稀有な存在。両者を再び繋ごうとする今だからこそ、あらためて村野さんの前衛的な姿勢は高く評価されるべき。装飾が構造につながり、立体的にもなる。異端であったからこそ、建築の未来を村野さんは残せたのではないでしょうか」

村野はグランドプリンスホテル新高輪(旧新高輪プリンスホテル)を完成させた際に、ベッドメイクから考え始めたという言葉を残しました。名作として名高い日生劇場の階段も、手袋をはめた婦人の手がどのようにかかるかをイメージし、華奢で繊細なものにしたと述べています。どのように使い、どのような時間が流れるか。そこを起点に空間を考えた村野の姿勢を表すエピソードです。

「村野さんの時代は現在と違い、図面をすべて手で書いていた時代。現場管理の大変さもあったでしょう。村野さんは建築に布を使うことが多いですが、宿泊棟の曲線を描く壁は布のヴェールを固めたような美しさ。それは図面と数値で描ききれるものではありません」

曲線を用いた空間の随所で、胎内めぐり(洞窟内に作られた霊場を仏の胎内にみたてて参拝する行為)のような日本独自の仏教感を感じると工藤さんは言います。ただし、それでいて鬱々とした空間にならないことに工藤さんは驚きます。

「箱根では色の操作もユニーク。エントランスは黒、ロビーは赤、そして宿泊棟は白と色を変えて展開していきます。建材にインド砂岩を多く使いますが、砂岩を成形版にするなど形もさまざま。これらの石も地面に近いほど大きく、上部に向けて小さくなっています」

工藤さんが注目するこれらの操作は、おそらく村野が自然と建物を「なごやかに」つなげたかったことに起因するものでしょう。幼少時に漁村に預けられた村野は、波打ち際の砂丘に立つ竹の姿や百姓家の崩れかかった泥壁に影響を受けたと残しています。

「細部までモダニズムにありがちな冷たさはなく、人が触れた時に気持ち良くいられるという感情的な判断が見られます。油土をこねて建築を検証した村野さんらしいディテールです」

建築という大きな存在を、細部までみつめることで名作を生み続けた村野藤吾。ザ・プリンス 箱根芦ノ湖は、村野が森を散策しながら思索したであろう空間がいまに息づき、そして大切に継承されています。スワンチェアという椅子は、家具でありながら村野にとって建築の重要なパーツのひとつであったのかもしれません。建築と湖を散策し、森に佇むかのような美しいロビーでこの椅子に腰をかける。村野という異才の足跡に思いを馳せる、思索の旅がここにあります。

工藤 桃子くどう ももこ

東京生まれ。2006年、多摩美術大学環境デザイン学科卒業。07年から11年まで、松田平田設計勤務。13年に工学院大学大学院藤森研究室修士課程修了後、15年までDAIKEI MILLSデザインユニットとして活動。15年にMOMOKO KUDO ARCHITECTSを設立。インテリアプランナー、一級建築士として個人住宅、maison DES PRESやSAYEGUSAといったショップデザインまで横断的な設計を手掛ける。

NOTES

「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖(竣工時は箱根プリンスホテル)」は1978年、富士箱根伊豆国立公園の芦ノ湖東岸に建てられました。村野は、アプローチとなる東側から湖に向かってゆるやかに傾斜する地形を活かした計画を行いました。アプローチからエントランス棟、ロビー棟、会議場をぬけ、円環状の2つの客室棟へと徐々に湖へと近づいていきます。村野は樹木を一切切ることなく、既存の敷地に収められるようにこれらの建物を配置したといいます。村野は作為的な庭を好まず、自然でさりげない雑木林を好んだと言いますが、ここではその思いを強く感じることができるでしょう。
天井を低く抑えて水平性を強調したエントランスからロビーへ足を踏み入れると、高い天井のダイナミックな空間に驚きます。長い廊下の先には木々が見え、両側の連続する窓からのぞくすっと伸びた木々とともに、ここが湖畔の森であることを強く意識させます。この建物を完成させた後、村野は都市型の「グランドプリンスホテル新高輪(竣工時は新高輪プリンスホテル)」、基本設計を終えて逝去した「グランドプリンスホテル京都(竣工時は京都宝ヶ池プリンスホテル)」といったプリンスホテルを手がけています。これらはいずれも、当時の建築では敬遠された造形美に踏み込み、プランに曲面を多用し、装飾の美しさに挑んだ作品です。ホテルという非日常の空間に、村野がもたせた高揚感はいまなお失われていません。

参考資料:『村野藤吾建築案内』村野藤吾研究会 編(TOTO出版、2009年)、『村野藤吾のデザイン・エッセンス』シリーズ(建築資料研究社、2000〜2001年)

村野 藤吾むらの とうご

1891年佐賀県生まれの昭和を代表する建築家。 ディテールにこだわり、仕上がりに高い技術を求めた作品には、「人間の手でものを作り上げる」という彼のヒューマニズムの精神がちりばめられている。主な作品は世界平和記念聖堂、旧千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎)など。 常に空間の隅々まで気をめぐらせ、家具や照明のデザインも多数手がけた。

村野藤吾の家具ラインナップ